薬の本質
“薬を服用することとは情報を摂取すること”
最近、そんなスタンスからいろいろ考えてみてます。
薬はその働く意味において大きく3つに分けられると思います。
⑴その人が持つ情報という宇宙に影響を与え、自身の真実に向かえるよう導くもの。健やかな肉体はその宇宙に合わせついてくる。
⑵肉体のバランスをとっていくことで巡りが良くなり、そこに宿る健全な精神とともに想いを叶える本来の力を取り戻すもの。
⑶それを起こす真の原因は見ずに対症療法的に肉体に作用させその場をしのぐもの。
神農本草経じゃないけど、仮にここでは⑴上薬、⑵中薬、⑶下薬としてみます。
例をあげると
フラワーエッセンス、サトルレベルのアロマテラピー、言葉の力、ヒーリングエネルギーのようなものは上薬
どれもとても繊細な世界です
現代的な西洋医学の薬、対症療法的な民間薬、漢方の中でも急性病に使うものは下薬
になるかな
漢方やアーユルヴェーダ、薬膳、食養、それらの理論は魂の本質に切り込んでいるので、服用する人がその理論をもとに主体的になれたら上薬の性質も入ってくると思います。
逆に直線的な発想(〇〇には△△など)で使われたら下薬になります。
直線的なベクトルの薬は私たちの複雑系の宇宙では、ホメオスタシスによってだいたい収まりますが、その力が強かったり服用が長くなるとバランスを崩して肉体を損うこともあります。
西洋医学の薬も、強い信念をもち生きて使命を果たすために主体的に治療に臨めたら上薬と下薬の両面の性質を持ち得ます。
その場しのぎの治療を漫然と続けてしまうと、症状は薬によって治まるかもしれないけれど、それでは何のために身体がメッセージを送ってるのか分からないし、続けるほどにその薬への依存はどんどん根深くなっていきます。
その起きている意味を考えてあげないと自分を無視し続けていることになります。
症状という声は発し続けられ、自分から遠ざかり、本質を取り戻すのが難しくなっていくのです。
一番良くないのは、誰かに預けてしまうこと。
自分の人生を創ることから逃げて誰かのせいにしてしまうこと。
受動的に薬を飲み続けること。
ヒーリングも言葉によるコーチングも自分に主体がなく依存していたら逆効果、もし良心的な施術者でなかったらだまされたーなんてことになります。
なんにしても主体がなければ簡単にマインドコントロールされちゃいます。
全体を俯瞰した中で主体的に洗脳されるのはありですけどね。
逆に狭い視点で頑なになるのはエゴが自分勝手に走っちゃってるので、本当の自分からは離れてしまいます。
そもそも薬の効果は結構な割合プラシーボです。
プラシーボってその人の無意識含めた信念という情報そのものからの作用と言えるかな。
その強さによってプラシーボ分の効果は変わるから、その効果の割合は偽薬も考えると0〜100パーセントと相対的なもの。
上薬も下薬も相対的なものです。
薬はそれ自体善も悪もなく、その本質は使う人に依存します。
主体をもって上薬⇆中薬を基本に、急場を凌ぐために下薬を使う、それが理想的だと思います。
施薬者も、“相手の主体に寄り添った上薬⇆中薬+最小限の下薬を、エネルギーを最大に高めて、適切なプラシーボ効果を乗せて施す”
これできたら最強、まさに錬金術師ですね。
目指し精進します。
大好きなカフェでの一杯が心身に沁みるように、このお茶の成分だけでなく、場の空気、店主の雰囲気、器の美しさ、これまでの記憶、ワクワクする気持ち、今の体調、、、
そんな情報がこのお茶から受け取るエネルギーに影響しています。