pirka ramer

心の美しい光を探しにいく旅のブログ

ワクワクというシステム

ワクワクってとても心躍る響き♪

細胞が震えてエネルギーがどんどん湧いてくるあの感じ

 

単なるお気楽な意味じゃなく

ワクワクの可能性ってほんとすごいと思うのです


私たちが未来や夢を描くとき

それが本当の望みじゃないことがあります

 

どこかでこういうもんだと自分の枠を作りその中に納めていたり

“こうすべき”だという思考で描いていたりするもの

そういうものはいくら素晴らしい想いでも叶いにくかったりします

 

ワクワクで描くものは

一見、世の役に立たないようなものかもしれない

何かを集めたり、初めての場所に遊びに行ったり、何かを無心に作ったり、冒険したり、、

ワクワクはエネルギーが強いから、くだらないように思えるものでも極まって真理につながっちゃう

そう、ワクワクに従って得たものが、統合されて高い次元でその人の宇宙を作っちゃうのです

そしてそれは集合的無意識につながっていきます

人類の進化・成長に寄与するのはきっとそういうものだと思うのです


思考で“こうしなきゃ”“ああすべきじゃない”と考えることは

今ある問題の領域から大きく発展することはないだろうし

社会的通念、過去の記憶、未来への恐れ、依存心、認めてもらいたい欲求、、

そんなものに意外とまみれたりしています

もちろんそのワクワクすることを実行、判断、整理していくのに思考はとても大切なもの!

 

そのワクワクが純粋であるかどうか、それは現実を見れば判断できます

なぜ起こっているのか分からない現象はその人の無意識の鏡

純粋なものなら、それらの統合によって作られた宇宙には魂の成長へと向かう不思議な後押しがあるものです

シンクロ二シティなんていいますよね

 

ワクワク楽しいことするのに罪悪感が生まれたりしてしまうことも多いです

だけどその罪悪感って一体どこから来ているのかしら〜

純粋なワクワクは本当の意味では誰かを傷つけたりしないでしょう

統合されていくと抽象度が上がり、意識も変わってきます

ワクワクはその人の宇宙の成熟度に合わせて磨かれていくのです

そうして受動的な義務ではなく、主体的に自然と誰かのために突き動かされていきます

その先にはあるのはきっと人類全体の願いなんじゃないでしょうか

 

みんなでワクワクを磨きつながっていく世界。。

想像するだけでワクワクしませんか?

 

 

 

 

あ、ワクワクのサイン!

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糖尿病 すれ違いの物語

近頃、仕事で糖尿病の方によく接しています

薬理や病気のしくみ、患者さんの症状や状況、性格、雰囲気などにアクセスしていたら

あるときその点がつながり

切ないストーリーが浮かびました

その悲しいすれ違いに

胸がぎゅっと締めつけられます

 

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ほんとは一番欲しいものがあるのに

代わりのもので、虚しいもので

必死で自分を満たそうとしているんだね

 

ストレスや緊張で信号を受けた肝臓からも

エールを送り込んでくれてるよ

 

でも身体の細胞は、もう要らないよと応える

だってそんなこと頑張りたくないんだもの!

もっとワクワクするものを求む!

 

あなたが良かれと思って与えたものは拒み続けられ

そうして血液の中は糖でいっぱいになった

 

細胞は魂からの喜びと愛に飢える

身体はだるさ、疲労感に包まれ

ますます現状を頑張るのが辛くなる

そして喉の渇き、渇望の苦しみ

 

糖は本当は役に立ちたくて

ただあなたの求めに寄り添っただけ

 

拒否され、役割を見失い、いっぱいになった血中の糖は

凶器となり神経や血管を傷つけ

肉体を損なわせていく

 

そのもの自体に善も悪もなく

そこにあるのは切ないすれ違いの物語

 

 

 

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ストレスがあるとお菓子食べたくなっちゃいますよね

砂糖って少なくとも今の私たちには

それほどは必要なものではないけれど

とっておきのシチュエーション、雰囲気の中

特別な気分、感覚で心からの幸せを満たしながらいただけば

身体はその喜びを受け入れてくれると思うのです

そのとき一切の罪悪感はなしですよ!

 

でもそれもたまにがいいんです

習慣とかストレス発散的に食べていると

中毒という偽物の快に支配されているかもしれません

きっと他にもっと“大きな本物の快”があるはずなのです

 

そう、これは運動とか食事とか、糖の収支だけで語ることはできません

心を温め、酸素いっぱいの血液を巡らせるのです

 

身体の反応はどんなものでも

魂の望みを生きるための“宝の鍵”があると思っています

 

身体は正直にストレートにメッセージを発しています

 

どうかどうかそのピュアな声が届きますように

 

 

 

 

 

 

たまのお菓子は自分にとってキラッキラして見えるものを食べたいものです

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忘れられないお菓子

奈良tsuzuruさんの“ピーナッツとフェンネルのビスケ”

感覚が洗われるようでした♡

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神様へのラブレター

私のつながりは私の宇宙

 

今、私が持つつながりは

ヒトでもモノでもコトでも全部

今の私を映す

 

伝えるということは

相手との宇宙の重なりにお手紙を出すようなこと

 

今はこうして無限にお手紙を出せる

ネット空間って必然で繋がった無数の星々の浮かぶ宇宙のような空間

私の宇宙が浮かびあがる鏡

 

私の内側から湧いたものを

言葉として形にし

宇宙に放ち

私のかけらを漂わせ

その響きに耳をすます

 

これは宇宙空間との立体的な文通

神様へのラブレター

 

 

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抽象度の階段

視点の抽象度をどこまでもあげていく!

と心に宣言したその日

事件が起こりました!!

 

最近、いろいろ本や気になる人のアウトプットを集中して読みまくっていました

とにかく必要な情報に太くアクセスしていきたくて

小さな点にフォーカスする具体から

少し高い視点に移動したとき

いろんなことが見えて悩みが減り

周りの世界が面白くなっていたから

 

ワクワクに従って抽象度をあげていくと

集合意識

自分の中の神様の

近いところに行けるみたい

 

蟻のような狭い視点ではなく

鳥のような俯瞰した視点から

自在に抽象と具体の間を行き来する

それって見たい世界を自由に飛び回れるってこと

 

だから

私はその階段を上がりまくってみよう!

そう決めたんです

 

そうしたら、その日

神様の戯れに引っかかり導かれたところで

抽象度が100段くらい高いところから

“洗礼のシャワー”を浴びてしまいました!!

 

ひゃ〜

すごい戦闘力でした〜

今まで使ってたスカウター(戦闘力測る機械)がショートしちゃいましたよ

いっぱい衝撃を浴びて、自分の中で何かが死んで何かが生まれました

とりあえず仙豆(一粒で快復しちゃう豆@ドラゴンボール)食べてパワーアップしましょうか

私は諦めません! 

 

ある秋の日の“天使のはしご”  城岱牧場から

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薬の本質

“薬を服用することとは情報を摂取すること”

最近、そんなスタンスからいろいろ考えてみてます。

 

薬はその働く意味において大きく3つに分けられると思います。

⑴その人が持つ情報という宇宙に影響を与え、自身の真実に向かえるよう導くもの。健やかな肉体はその宇宙に合わせついてくる。

⑵肉体のバランスをとっていくことで巡りが良くなり、そこに宿る健全な精神とともに想いを叶える本来の力を取り戻すもの。

⑶それを起こす真の原因は見ずに対症療法的に肉体に作用させその場をしのぐもの。

 

神農本草経じゃないけど、仮にここでは⑴上薬、⑵中薬、⑶下薬としてみます。

 

例をあげると

フラワーエッセンス、サトルレベルのアロマテラピー、言葉の力、ヒーリングエネルギーのようなものは上薬

どれもとても繊細な世界です

漢方薬アーユルヴェーダの薬、薬膳、食養のようなもの中薬

現代的な西洋医学の薬、対症療法的な民間薬、漢方の中でも急性病に使うものは下薬

になるかな

 

漢方やアーユルヴェーダ、薬膳、食養、それらの理論は魂の本質に切り込んでいるので、服用する人がその理論をもとに主体的になれたら上薬の性質も入ってくると思います。

逆に直線的な発想(〇〇には△△など)で使われたら下薬になります。

直線的なベクトルの薬は私たちの複雑系の宇宙では、ホメオスタシスによってだいたい収まりますが、その力が強かったり服用が長くなるとバランスを崩して肉体を損うこともあります。

西洋医学の薬も、強い信念をもち生きて使命を果たすために主体的に治療に臨めたら上薬と下薬の両面の性質を持ち得ます。

その場しのぎの治療を漫然と続けてしまうと、症状は薬によって治まるかもしれないけれど、それでは何のために身体がメッセージを送ってるのか分からないし、続けるほどにその薬への依存はどんどん根深くなっていきます。

その起きている意味を考えてあげないと自分を無視し続けていることになります。

症状という声は発し続けられ、自分から遠ざかり、本質を取り戻すのが難しくなっていくのです。

 

一番良くないのは、誰かに預けてしまうこと。

自分の人生を創ることから逃げて誰かのせいにしてしまうこと。

受動的に薬を飲み続けること。

ヒーリングも言葉によるコーチングも自分に主体がなく依存していたら逆効果、もし良心的な施術者でなかったらだまされたーなんてことになります。

なんにしても主体がなければ簡単にマインドコントロールされちゃいます。

全体を俯瞰した中で主体的に洗脳されるのはありですけどね。

 逆に狭い視点で頑なになるのはエゴが自分勝手に走っちゃってるので、本当の自分からは離れてしまいます。 

そもそも薬の効果は結構な割合プラシーボです。

プラシーボってその人の無意識含めた信念という情報そのものからの作用と言えるかな。

その強さによってプラシーボ分の効果は変わるから、その効果の割合は偽薬も考えると0〜100パーセントと相対的なもの。

 

上薬も下薬も相対的なものです。

薬はそれ自体善も悪もなく、その本質は使う人に依存します。

主体をもって上薬⇆中薬を基本に、急場を凌ぐために下薬を使う、それが理想的だと思います。

 

施薬者も、“相手の主体に寄り添った上薬⇆中薬+最小限の下薬を、エネルギーを最大に高めて、適切なプラシーボ効果を乗せて施す”

これできたら最強、まさに錬金術師ですね。

目指し精進します。

 


大好きなカフェでの一杯が心身に沁みるように、このお茶の成分だけでなく、場の空気、店主の雰囲気、器の美しさ、これまでの記憶、ワクワクする気持ち、今の体調、、、

そんな情報がこのお茶から受け取るエネルギーに影響しています。

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呼吸とお通じの関係

東洋思想の陰陽五行論によると、大腸は肺と表裏の関係にあります。

 

肺が空気を吸い酸素を取り込み、不要となった二酸化炭素を外に出すように、

大腸も必要なものを取り込んだカスを排泄しています。

 

大腸が脳と相関関係にあることは有名ですが、

“腹黒い”とか“腹を割って話す”という表現にもあるように

深い本音の部分と繋がりがあるようです。


また五行論では、肺は精神活動を表す五神の中で『魄(はく)』を蔵するとされ、

本能的な感覚、自分とそれ以外の境界(広い意味での免疫)を認識するなどしています。

肺機能が弱まると、自他の認識がうまくいかなくなり免疫機能がうまく働かなくなったり、取り込むことと排泄することがちゃんとできなくなってしまいます。

 

便秘にはそれを引き起こすいろんな要因(ストレス、血行不良、肺のエネルギー不足、腸内環境のバランス、冷え、、)がありますが、、

便秘という結果はつまり

 “大腸が呼吸できてないということ”

と考えて良いのではないかと思います。

 

そして便秘体質の人は、もう不要となった古い想いを抱えデトックスできない状態に陥りやすいということも少なからずあるようです。

 

便秘に悩まれ、いろいろ試したが改善しないという方も多いと思います。

下剤を使うのも一時的には良いですが、どんな現象にしても根本にあるものを見つめる必要があります。

意味なく起こってることなどないのですから。

 

肺は自然から清気を取り込み、それが飲食物の精氣と合わさって宗気となり、血と気を巡らせています。

過去の後悔や未来への不安でいっぱいになっているとき、今ここにある愛、自然からの愛のことが見えなくなってしまいます。

そういうときって呼吸が浅くなっていると思いませんか?
そんな状態では本能は曇り、深いレベルでの自分というものが分からなくなってしまいます。

便秘とは、不要になった出すべきものをちゃんと自分の本質と区別できてないってこと。。

これは仮説を含むのですが、結構確信があります。

 

私もずっと便秘傾向なので、最近は深い深い呼吸を腸に送ってあげることをイメージする時間をとるようにしてます。

窒息寸前の本音に酸素を送ってあげるように。

清気という、今ここにある愛を感じながらするのがポイントです。

意識が今ここにないと気が上った状態(気逆)になりやすく効果が薄まります。

 

深い呼吸と内観を促すヨガなども良さそう。

 

整うと空気を含んだ快いお通じが出ます。

腸が呼吸してる♡って感じです。

抱え込んだ想いも一緒に断捨離です。

  

↓腸の中に光が差し込むイメージ

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あなたという神様

 

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最近、腑に落ちたことがあります。
それはこの世界は魔法なんだっていうこと。

それは“鏡の法則

 

人は誰でも“内面の投影”という魔法を使っています。
どんな現実も、この肉体を使ってそれを味わい学びたくて自分で創っているのです。

え?こんな現実選んでないって?
それはある表面的な階層の自分の声じゃないでしょうか。
人の魂は普段意識しているのと違う次元で想いを実現化しているのですから。

恐怖や個人的欲望を種としたエゴを肥大させてしまうと、、それは魂の願いに添っておらず、、鏡の法則によってエゴとしては苦しい経験が返ってくることになります。

でもそれは自分で身をもって学ぶしかないし、そのプロセスを自身で選んでいるんです。

狭い視野の中でぐるぐると堂々巡りしてばかりのとき、その見えている世界に答えはありません。
八方塞りになって行き場を失ったら高く跳んで一段上に行くしかないのです。

そうして意識の成長を学んでいるんですね。

意識を魂と調和させることができると、愛に満ちた幸せを肉体を通して知ることができます。
というか愛の法則によってしか魂と調和することはできないみたいです。
それぞれの形で愛に向かい創造することを魂は望んでいるのではないでしょうか。

他の人がある現実を選んでいるという自由を侵すことは、愛の法則に反した行為と言えます。

それはパートナーや親子という関係でも例外ではありません。

自分が誰かのためにできることは、結局、自分の魂と調和して精一杯生きることだけなのです。

 

魂(大いなる自己、ハイヤーセルフ)とは、あなたの世界における神様とも言います。

 

『あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。』

旧約聖書 出エジプト記20章3節

愛しのわんこ

いつも無邪気に甘えて、ときにはいじけたり
寝て食べて排泄してお散歩して
あったかいモフモフで愛を教えてくれます。

そして、飼い主の家庭の場のエネルギーというものをずっとまっすぐに受け止めてくれている。
調和も不調和もまっすぐ。

この子たちの幸せは飼い主に依存しています。
何を食べられるのか、どこにお散歩に行くのか、どんなエネルギーを受けて生きるのか。

犬の本能は愛玩犬という形では役に立たないように思われるかもしれないけれど、健全なかたちで発揮させてあげたいなぁと思うのです。
お散歩やお出かけでワクワク外の世界を感じてマーキングしている様子を見ていると、こちらまで幸せな気持ちをもらいます。

小さい子どももおんなじことですよね。
子どもが魂の望む成長をしていけるかどうかは、大人に依存しています。

その延長にいる大人は?
完全に自由意志で生きている?

人の意識は何層にも渡っています。
私の中にいる自我というものが、今まで生きてきた中で染みついてきた記憶、感情、観念によって呪いのように私たちの枠を作り縛っているものです。
完全に悟った人はそうじゃないかもしれないけれど、それ以外は誰でも!
それはあるときまでは自分を保護してくれています。
でもそのままでいたらそこからは出られない、不自由さを感じるもの。
だって魂はもっと成長したいと願っているのだから。

私たちは意志でその枠を壊して広げていけるという自由があります。
それには恐れが付きまといます。
危ないよ!って外に出さないようにしている親心なのでしょうね。

でもその破壊がないと人の意識の成長はないのです。

成長するかどうかは自由に任されている、それも成長を見守る神様の愛ですね。

自我に縛られている意識、それが自由になっていくためには今ここにある自分をニュートラルに観ていくこと。

何を魂は願っているのかな。
純粋なワクワクはどこにある?
私の内面を映す外の世界は何を導いてくれているのでしょうか?

今日もわんこは私たち家族を映して、愛を教えてくれています♡

 

野原で気持ち良さそうなわんこたち

函館の志海苔遺跡という場所です。

誰もいないのでドッグランみたいにのびのび。

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美しい光を探す船旅へ

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神様が作った一番美しいものを見たい!!

 

もちろん旅も大好きです!

だけどそれだけじゃないんだ。

もっともっと深い世界にある美しい輝きを探す心の旅がしたい。

いつでもそれが見える心でいようと決めたんだ。

 

始めて作ったブログ pirka mer(美しい光) 

それとは別に こちらでは pirka ramerとして心のこと、魂のこと、癒しのこと、幸せのこと、愛のこと、そんなテーマで気づき学んだことを記録としてアウトプットしていくことにしました。

アイヌ語でramとは心、精神のこと。

mer(光)と融合してramer (心の光) 

フランス語でramerは「船をこぐ」の意味だそうです。

 

五感で観た美しいもの pirka mer

魂で観た美しいもの pirka ramer

この二つは対になってらせん状にのびていく

 

いざ美しい光をさがす船旅へ